日(水)晴【ビルマ僧の願い】
一昨日、ビルマの青年僧と会う機会がありました。この方は、2007年の9月17日からの軍政に対しての抗議行動において、先頭に立った僧侶の一人で、アシン・ターワラ(ターウラ)師です。
皆さんはこの抗議行動について、日本人の長井健司さんが、9月27日のデモに巻き込まれて射殺されてしまったことで記憶していらっしゃるのではないでしょうか。
ビルマ(現在はミャンマーと軍政が国名を変更)は、アウンサン・スー・チーさんが自宅軟禁されていることでもご存じかもしれません。
とにかく同じアジアの中でも、隣の国では何が行われているか、なかなか分からないことが多いのです。軍事政権のもとで人々がいかに苦労をし、食べるものにも事欠いているか、想像さえできません。また簡単に虐殺が行われ、拷問が行われ、非人道的なことが日常的に行われていることも想像することさえ日本人には難しいかもしれません。そうして軍部やその家族や、その利権に預かる人々は贅沢をし、楽々暮らしているのです。
日本からのOECD(経済協力開発機構)などで支払われる多額の援助金は、ビルマの困っている国民には使われず、軍政関係の人々と取り巻く人々が享受しているようです。今、援助は行われていないと言われていますが、皆無ではありませんし、軍政寄りの日本人もいるわけです。
軍政であっても、自由があり平和があり人々が豊かに暮らせていられれば、問題はないでしょう。その全く逆のビルマ(ミャンマー)なのです。余程のことが無いかぎりは、争いを禁じられている僧侶が、先頭に立って抗議行動を起こすはずがないのです。
この抗議行動でも、またその後も、多くの僧侶や市民が虐殺され、また多くの僧侶や市民がマンダレー刑務所やあちこちの刑務所で、今日も拷問されていることでしょう。
平和な日本(本当は非常に危うい状態の日本ですが、太平の夢に酔いしれていますから、実感はないでしょう)に暮らしていますと、全く同じアジアの近くの国で、人々が大変な目に遭っていることを想像することさえ難しいことでしょう。
アシン・ターワラ(ターウラ)師は、8歳から僧院で修行して、経律論の三蔵の試験に合格したダンマサリヤ(おそらく三蔵法師のような段階でしょう)です。ビルマの軍政から逃れて、今はインドに亡命しています(このようなことを公表してもよいそうですので、ここに公表しています)。
上の写真で、その隣に写っている方はマウン・ミァ・ティン氏です。氏は1988年の学生による軍政への反対運動の後、日本に亡命しました。そして祖国に真の自由と平和がもたらされることを願い続けて生きているのです。
アシン・ターワラ師のブログがありますのでご紹介しておきます。http://ashin-htavara.blogspot.com/
お二人の写った下の写真は、大船観音寺にまつられている原爆慰霊碑と平和祈念塔の前です。燈籠の中の火は、ヒロシマの原爆の時に燻っていた火が星野村に持ち帰られて、燃え続けていますが、それが分火されたものです。
今、ミャンマーの軍事政権は、北朝鮮の技術協力を得て、核兵器を保有しようとさえしているそうです。
それは、日本にとっても、実は大変なことです。いつの間にか核に囲まれた国になってしまいます。日本はお金の援助をして、自分の国を襲ってくるかもしれない核兵器をつくる支援をしているのと同じ事です。
日本の政府にも、政府でない国会議員にも、どうでもいいことで勢力争いの(日本)内部紛争をしている場合か、と言いたいですね。日本も危ないのですよ、本当は。
ビルマの僧侶や人々の顔に、本当に喜びの笑顔が満ちる日の来ることを願いつつ。
次の"Kameno's desital photo log"にアシン・ターワラ師の経歴など詳細が紹介されています。
http://teishoin.net/blog/004026.html
一昨日、ビルマの青年僧と会う機会がありました。この方は、2007年の9月17日からの軍政に対しての抗議行動において、先頭に立った僧侶の一人で、アシン・ターワラ(ターウラ)師です。
皆さんはこの抗議行動について、日本人の長井健司さんが、9月27日のデモに巻き込まれて射殺されてしまったことで記憶していらっしゃるのではないでしょうか。
ビルマ(現在はミャンマーと軍政が国名を変更)は、アウンサン・スー・チーさんが自宅軟禁されていることでもご存じかもしれません。
とにかく同じアジアの中でも、隣の国では何が行われているか、なかなか分からないことが多いのです。軍事政権のもとで人々がいかに苦労をし、食べるものにも事欠いているか、想像さえできません。また簡単に虐殺が行われ、拷問が行われ、非人道的なことが日常的に行われていることも想像することさえ日本人には難しいかもしれません。そうして軍部やその家族や、その利権に預かる人々は贅沢をし、楽々暮らしているのです。
日本からのOECD(経済協力開発機構)などで支払われる多額の援助金は、ビルマの困っている国民には使われず、軍政関係の人々と取り巻く人々が享受しているようです。今、援助は行われていないと言われていますが、皆無ではありませんし、軍政寄りの日本人もいるわけです。
軍政であっても、自由があり平和があり人々が豊かに暮らせていられれば、問題はないでしょう。その全く逆のビルマ(ミャンマー)なのです。余程のことが無いかぎりは、争いを禁じられている僧侶が、先頭に立って抗議行動を起こすはずがないのです。
この抗議行動でも、またその後も、多くの僧侶や市民が虐殺され、また多くの僧侶や市民がマンダレー刑務所やあちこちの刑務所で、今日も拷問されていることでしょう。
平和な日本(本当は非常に危うい状態の日本ですが、太平の夢に酔いしれていますから、実感はないでしょう)に暮らしていますと、全く同じアジアの近くの国で、人々が大変な目に遭っていることを想像することさえ難しいことでしょう。
アシン・ターワラ(ターウラ)師は、8歳から僧院で修行して、経律論の三蔵の試験に合格したダンマサリヤ(おそらく三蔵法師のような段階でしょう)です。ビルマの軍政から逃れて、今はインドに亡命しています(このようなことを公表してもよいそうですので、ここに公表しています)。
上の写真で、その隣に写っている方はマウン・ミァ・ティン氏です。氏は1988年の学生による軍政への反対運動の後、日本に亡命しました。そして祖国に真の自由と平和がもたらされることを願い続けて生きているのです。
アシン・ターワラ師のブログがありますのでご紹介しておきます。http://ashin-htavara.blogspot.com/
お二人の写った下の写真は、大船観音寺にまつられている原爆慰霊碑と平和祈念塔の前です。燈籠の中の火は、ヒロシマの原爆の時に燻っていた火が星野村に持ち帰られて、燃え続けていますが、それが分火されたものです。
今、ミャンマーの軍事政権は、北朝鮮の技術協力を得て、核兵器を保有しようとさえしているそうです。
それは、日本にとっても、実は大変なことです。いつの間にか核に囲まれた国になってしまいます。日本はお金の援助をして、自分の国を襲ってくるかもしれない核兵器をつくる支援をしているのと同じ事です。
日本の政府にも、政府でない国会議員にも、どうでもいいことで勢力争いの(日本)内部紛争をしている場合か、と言いたいですね。日本も危ないのですよ、本当は。
ビルマの僧侶や人々の顔に、本当に喜びの笑顔が満ちる日の来ることを願いつつ。
次の"Kameno's desital photo log"にアシン・ターワラ師の経歴など詳細が紹介されています。
http://teishoin.net/blog/004026.html
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